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なぜ、秀吉は千利休を切腹させたのか? 得意の「人心掌握術」が通じなかった理由

日本史あやしい話22

 

■千利休の台頭を、秀吉が危険視した?

 

 このようにさまざまな説が飛び交っているが、そこには、一つの共通点が見出せそうだ。それが、「秀吉が利休を良く思っていなかった」ということ。この思いが根底にあったと考えられるのだ。

 

仮に秀吉が利休のことを、かつてのように師と仰ぎ続け、尊敬の眼差しで見続けていたとすれば、決して切腹を命じることなどしなかったはず。いつしか彼の利休を見る目が当初とは変わっていったとすれば、納得できそうだ。

 

 その変化をもたらした理由は二つ。一つが、利休の台頭を秀吉が危険視しはじめたこと。大友宗麟によれば、前述の弁だけでなく、「利休以外、関白に意見できる者が誰もいなかった」という状況だったとか。となれば、利休の台頭を秀吉が危険視し始めたとしても不思議ではない。つまり、「権力闘争」が1つ目の理由である。

 

 もともと利休は、秀吉にとって茶の湯における師匠であった。形の上では、利休の方が秀吉に仕えていたとはいえ、時には立場が客転することもあったのだろう。それでも、茶の湯を政の場として利用してきた秀吉にとって、利休は利用価値の大きい存在であった。利休を利用するためには、しばし風下に置かれることも厭わなかったのだろう。

 

 ところが、秀吉が天下統一を成し遂げて政の実権を握ってしまったとなれば、話は変わる。もはや利休など、必要のない人物と考えるようになったとしてもおかしくはない。そればかりか、自らの立場をも犯しかねない危険な人物であると考え始めたのかもしれないない。

 

■質素好き/派手好きの対立だった?

 

 もう一つが、二人の「考え方の違い」である。禁欲的な利休は派手な装飾を嫌う。使う道具も高価なものではない。茶室は狭くて質素である。対して、秀吉の派手好みはよく知られるところ。黄金の茶室を作るなどを見てもわかるように、ことごとく利休の思いとは正反対であった。意見など、合うわけがなかったのだ。

 

 これまで「人たらし」とまで言われるほど人を意のままに操ってきた秀吉ならではの手練手管も、利休には通じそうもなかった。すべてが我が思いのままにできた秀吉にとって、利休は唯一言うことをきかせられない者、つまり気に食わない存在になってしまったのである。

 

 それでも、利休がもし自分に屈して許しを請うような態度を示せば、もしかしたら切腹の命を取り下げたかもしれない。しかし、これは利休の方が頑なに拒んだようである。己の心を曲げてまで、権力に屈したくなかった。その心意気を、命よりも大事にした。秀吉ごときに屈してまで、茶人としての心意気を捨てたくなかったのだ。

 

 ただ、利休の後ろ盾となっていた実力者の秀長が生きているうちは、秀吉といえども、迂闊には手出しができなかった。利休に切腹を命じたのが、秀長が病で亡くなった後だった……というのが、それを物語っているかのようである。

 

■耳と鼻をそぎ、惨殺された千利休の一番弟子

 

 利休の一番弟子であった山上宗二の死にも、目を向けておきたい。宗二は秀吉の傲慢さを嫌悪し、秀吉が道理にかなわぬことをする度に、諫言を繰り返していたという御仁であった。それが秀吉の怒りを買い、宗二は小田原の北条氏の元へ逃げ込まざるを得なくなったのである。

 

 その彼に対し、秀吉は北条氏を裏切って寝返るよう求めたとも伝わる。これを宗二が拒否するや、秀吉がまたもや激怒。怒りに任せて、「耳と鼻を削ぐ」というなんとも残酷な手口で惨殺したのだ。思い通りにならぬ者は容赦なく命を奪う……という、秀吉の残忍さが推し量られる逸話である。

 

 ともあれ、最後まで権力に屈することなく「茶の心」を重んじた利休。その心意気に、敬意を表したいと思うのである。

 

 

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藤井勝彦ふじい かつひこ

1955年大阪生まれ。歴史紀行作家・写真家。『日本神話の迷宮』『日本神話の謎を歩く』(天夢人)、『邪馬台国』『三国志合戰事典』『図解三国志』『図解ダーティヒロイン』(新紀元社)、『神々が宿る絶景100』(宝島社)、『写真で見る三国志』『世界遺産 富士山を行く!』『世界の国ぐに ビジュアル事典』(メイツ出版)、『中国の世界遺産』(JTBパブリッシング)など、日本および中国の古代史関連等の書籍を多数出版している。

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